2018年4月26日木曜日

高尾誠氏証人尋問報告(海渡雄一弁護士)

東電津波対策の要 高尾誠 証人尋問が終了

-指定弁護士側の立証の全貌が明らかに-


被害者参加代理人
弁護士 海渡雄一

 4月10日、11日、17日の3日間、第5回、第6回、第7回公判で東電の土木調査グループの津波対策の担当者であった高尾誠氏が証言した。その尋問内容をレポートしたい。

目次
第1 まとめ
第2 4月10日、11日の指定弁護士の主尋問
1 経歴
2 2002年当時の状況(土木学会津波評価技術と推本長期評価)
3 耐震バックチェックの開始
4 推本の長期評価をバックチェックで取り入れることとした根拠
5 柏崎原発の活断層隠蔽時の記者会見に同席
6 バックチェックの基準津波の計算の発注
7 計算結果の納入とバックチェックの中間報告
8 10メートル盤に10メートルの鉛直壁を立てたときの津波遡上高の計算
9 武藤本部長と各グループの面接
10 10月中に対策工事の検討を完了する
11 7月31日 武藤二次面接 「研究を実施しようで力が抜けた」
12 他社や専門家に対する説得作業
13 津波堆積物調査と進捗しない津波対策
14 GMとなり、津波対策ワーキングを立ち上げる
15 土木学会津波評価部会は房総沖で集約
16 保安院とのやりとりを武藤本部長に連絡
17 事故はショックだったと述べたが、被害者への謝罪の言葉は聞かれなかった
第3 弁護人による反対尋問及び主尋問(11日、17日)
第4 指定弁護士による再主尋問(17日)
第5 弁護人再反対尋問(17日)
第6 裁判官補充尋問(17日)

(PDF版はこちら)

第1 まとめ

高尾証人は、2007年以降東電内で津波対策を積極的に進めようとしていた中心人物であり、裁判全体の中で最も重要な証人である。高尾氏が所属していた土木グループでは実際に津波対策の工事を行おうとしていて、武藤元副社長が許可さえ出せば、動き出せる状態になっていたことがはっきり分かった。津波対策の中心を担った人の非常に生々しい証言は検察官役の指定弁護人の立証の要になるものだったと思う。
 ポイントは次の諸点であろう。
  1. 推本の長期評価を取り入れることとした根拠の第1に、東電自らが実施した確率論的評価において、10メートルを超える津波の確率が10マイナス4~5乗であり、耐震性では当然考慮しなければならないレベルのものであったこと。
  2. 2008年7月31日に「研究を実施しよう」(津波対策工をやらない)と武藤に言い渡された際の『後の数分間は記憶が飛んでいる。力が抜けてしまった』という感想は、これまでの公判の中で最も重要な証言だと考える。
  3. 同6月10日に武藤に提示した資料でも、7月23日の4社連絡会でも、2008年10月までに、対策工の計画策定を終えたいとしていたことがわかる。対外的にもやると宣言していた対策工ができなくなったことが、高尾氏が力が抜けてしまった最大の理由ではないか。
  4. 東電が、東北電力にも推本の長期評価をバックチェックに取り込まないよう圧力を加え、実際に報告書の本文から「参考」に記述を落とさせていることが判明した。
  5. 高尾氏は、反対尋問で、防潮堤を築くとすれば、南側、北側、中央に三個所作ることになったと言うが、それは高尾氏が考えることではない。波源の設定によって遡上個所は移動するのであり、施工面からは防潮堤をつなげることもあることは認めている。
  6. 2011年2月の津波対策ワーキングに提案された防潮堤案も、敷地全体を囲うものが提案されている。久保証人は、このような細切れの防潮堤の施工は考えられないとしていた。この点の高尾証人の証言は極めて不合理である。
  7. バックチェックは原発を稼働しながら対策をすることも認められていたと高尾氏は証言したが、柏崎刈羽原発は、新潟県泉田知事の強い姿勢から耐震補強とバックチェックの合格がなければ再稼働はできなかったなど、新しい基準に適合していない原発が危険であることは当然である。このような誤ったスキームによって、福島の事故を未然に防ぐことができなかったことの反省として、新しい規制では、バックフィットという体制がとられたのである。

第2 4月10日、11日の指定弁護士の主尋問

1 経歴
 証言した高尾誠氏は、1989年4月に東京電力に入社し、1993年までは柏崎の土木構造物の計画担当をしていた。1993~1996年は本店の原子力建設部。1996年から原子力技術部と名称が変わったが仕事内容は変わらず。2007年からは設備管理部と名称が変わったが仕事内容は変わらず。
 1993年7月の北海道南西沖地震の際には奥尻島で津波被害が発生したが、この経験を踏まえて既設炉の再評価の作業に従事した。津波高さはO.P.+3.5~3.6で新たな対策は必要がなかった。
 1993年7月の北海道南西沖地震の際には奥尻島で津波被害が発生したが、この経験を踏まえて既設炉の再評価の作業に従事した。
 1997年には4省庁の「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」と7省庁「地域防災計画における津波防災対策の手引き」が公表されているが、高尾氏はこれを読んでおり、既往の津波だけでなく、想定しうる最大の津波に取り組むべきだと考えていたと証言している。
 そして、当時電事連で作成された「7省庁津波評価に係わる検討結果(数値解析結果等の2倍値)について」との書面もあり、当時からかなり高い津波高が想定できたことを示唆した。
 当時から、高尾氏は土木学会に幹事として出席し、土木学会の津波検討の状況をつぶさに認識できる状況にあった。当時の土木学会の調査費用は調査を委託する原子力関連の電力会社が負担していた。高尾氏は2008年春以降は土木学会の委員となった。

2 2002年当時の状況(土木学会津波評価技術と推本長期評価)
 2002年2月に土木学会の津波評価技術が策定された。2002年から土木学会では3つの研究を行っていた。これは、一定の方法論に基づいて津波のシミュレーションを行い、安全性を評価するものであった。東電は、この津波評価技術が公表された翌月である2002年3月には、「福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所 津波の検討 ―土木学会「原子力発電所の津波評価技術に関わる検討―」を作成した。
 これには、既往津波の再現性、想定津波の検討結果、遠地津波等が検討されている。ここでは、O.P.+5.4~5.7程度の津波高が想定され、これに基づいて、6号機の海水ポンプの電動機据え付けレベルを数十センチかさ上げし、浸水防止措置を講ずるなどの対策が実施された。
 また、確率論的津波ハザード解析が行われ、津波の波力の検討、非線形分散波についての高度の方程式を用いた解析なども実施された。
2002年7月には政府の地震調査研究推進本部の『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(長期評価)が公表された。三陸沖から房総沖までの太平洋沿岸部のどこでも、すなわち福島県沖でも巨大な津波を引き起こす地震が起きる可能性があるという見解が示されていた。
 高尾氏は、これを当時読んだと述べた。この長期評価をどのように取り扱うか、土木グループ内で検討した。このときは、土木学会の第2期研究の中で、確率論的津波ハザード解析のロジックツリーの一つの選択肢として、この長期評価を取り扱うことを決め、このことを保安院にも報告し、了承された。
 高尾氏は2004年から東通原発の新設炉の土木担当となり、陸上の土木工事計画の業務に従事した。

3 耐震バックチェックの開始
 2007年7月に中越沖地震が発生し柏崎刈羽原発が被災した。炉は自動的にスクラムしたが、漏れた油に引火し火災となった。その直後の8月には、本店の設備管理部の仕事に戻ってきた。
 同年11月に中越沖地震対策センターが設備管理部の中に作られた。この当初は、本店5階の大きなフロアーにあり、2008年2月に7階に移ったが一年後には土木調査グルーブは5階に戻った。
 土木調査グループは、全体で15~20位ある「島」の一つで、酒井氏が上席で、高尾氏が2~3メートル離れた島の中におり、その隣には部下の金戸氏がいたという。センター長の山下氏は、それぞれの島のGMの間に席を占めており、吉田部長は奥に席を占めていた。
 高尾氏は、このころから、2006年9月に新たに改訂された「耐震設計審査指針」にもとづいて、最新の知見をもとに既設原発の安全性を再検討する「耐震バックチェック」作業を担当した。新指針には地震だけでなく津波対策が追加されたので、津波の想定に推本の「長期評価」を取り入れるかどうかを社内で議論した。議論が始まったのは2007年11月頃である。
 当時金戸氏が作成した11月1日の検討会議のメモである『福島第一・第二原子力発電所に対する津波検討について』と題するメモには次のように書かれている。高尾氏はこの会議には出席していないが、最新知見として 1.茨城県による房総沖地震津波 2.貞観地震津波 3.福島県の津波堆積物と並んで、「推本福島沖」と書かれており、推本を取り入れる方向性となったことがわかる。
 11月19日に行われた会議の「福島第一・第二原子力発電所に対する津波バックチェック」には高尾氏も出席している。この会議は最終決定のできる場ではないが、推本を取り込むという方向性は決まった。11月19日には原電との情報連絡会が開催され、原電側が作成していたメモで内容がわかる。
 この会合で高尾氏は、「今回のバックチェックは大々的な耐震性の評価となり(大幅な見直しが必要ならば今回実施する必要がある)、今後の審査にあたっては推本で示された震源領域をなぜ考慮しないかという議論になる可能性がある。これまで推本の震源領域は、確立論(ママ)で議論するということで説明してきているが、この扱いをどうするかが非常に悩ましい(確率論で評価するということは実質評価しないということ)。推本の扱いについて、東京電力内で議論をして、早めに方向性をだしたい。」と述べている。
 高尾氏は、この段階で、「推本の見解は取り入れていくべきであると考えていた、東電内で明確な意思決定がなされていないためこのような話し方となった」と説明した。
 また、12月10日段階で日本原電の担当者が作成したメモが証人に示された。このメモは、「推本に対する東電のスタンスについて(メモ)(高尾課長からのヒヤ)」と題され、○推本の取り扱いについてはこれまで確率論で取り扱ってきたが、確定論で取り扱わざるお(ママ)えないのではないかと考えている(酒井GMまで確認)。○これまで原子力安全・保安院の指導を踏まえても、推本で記述されている内容が明確に否定できないならば、BCに取り入れざるお(ママ)えない。○今回のBCで取り入れないと、後で不作為であったと批判される。○津波評価についても、推本で記述しているものはBCに取り入れるということを、全社大で確認する必要がある(今後、土木WGで確認するという段取りか)。○今後の進め方について酒井GMと相談する。」とされている。

4 推本の長期評価をバックチェックで取り入れることとした根拠
 このようにして、土木調査グルーブとして、推本の見解を取り入れるという方針は2007年12月には確立した。
 指定弁護士は、「当時、『長期評価』を津波対策に取り入れるかどうかについてどう考えていたか」を尋ねた。高尾氏は、「取り入れるべきだと考えていた」と明確に答え、その理由として、次の6点を挙げた。
  1. 東電が2002~2003年からすすめてきた確率論的評価においても、福島第一に高さ10メートルを超える津波が襲う確率は10マイナス4~5乗のオーダーであり、耐震性の検討でも当然評価しなければならない確率を上回っていたこと
  2. 地震学者などに対して実施した重み付けのアンケートでも「長期評価」を考慮すべきであるという意見が6割あり、過半数を超えていたこと
  3. 新設の東通原発の設置許可申請ではすでに「長期評価」が取り入れられていたこと
  4. 他の既設炉の耐震バックチェックにおいても、すでに「長期評価」が取り入れられていたこと
  5. 地震調査研究推進本部は政府機関であり、権威ある機関であったこと
  6. 地震調査委員会の阿部勝征教授が、保安院の主査であり、長期評価を支持しており、バックチェックで審査を通るためには推本を取り入れるべきであると考えたこと。
特に、この中で、重み付けアンケートにおいて、阿部氏と島崎氏が推本の重み付けを1.0とし、土木学会の重み付けを0と答えたことについて、東電は、重み付けアンケートの趣旨を踏まえない不当な回答であると批判してきたが、高尾氏は、阿部氏と島崎氏は推本の見解には「認識論的な不確かさがない」ほど確かなものと考えられたのだろうと感想を述べ、東電の不当な回答であるという見解には与しなかった。

5 柏崎原発の活断層隠蔽時の記者会見に同席
 さらに、2007年12月には、この年に発覚した東電の情報隠し問題に証人が関係していたことが明らかになった。すなわち、東電は、2003には柏崎刈羽原子力発電所の沖合にある断層について「活断層」だと再評価していたが、2007年7月の中越沖地震の発生まで、このことを公表しなかった問題で謝罪に追い込まれた。高尾氏はこの謝罪会見に列席したという。高尾氏はこの経験を通じて、「社内の考え方だけで決めるのではなく、県民目線で考え、できるだけ速やかに公表することが重要だという教訓が得られた」「一般の目線で判断して、早く公表することが重要だと思っていた」と証言した。推本の長期評価を取り入れるという方針も、このようなまっとうな考え方に基づいて進められていたことがわかる。

6 バックチェックの基準津波の計算の発注
 2008年1月23日に土木調査グループ酒井GMが送った社内メールでは、
「中間報告時に土木設備、津波を含むか否かはNISAと今後調整(社内検討は中間報告に併せて実施)。
・一方、津波評価については、福島沖のS5用地震モデルを津波に展開した場合にNGであることがほぼ確実な状況。
・要するに、中間報告に含む、含まないかに係わらず、津波対策は開始する必要があり、そうであるのであれば、少なくとも津波に関して中間報告に含む含まないの議論は不毛な状況。
・それよりも津波の上昇側の対策が現実にどのようにできるかが課題。」
とされており、津波対策を行うという方針は東電社内で共有されていたことがわかる。
 2月4日に土木調査グループ酒井GMが送った社内メールでは、
「・津波について、今回、建築がSs地震動用に、改訂指針で記載される「不確かさ」を考慮して、福島沖にM8以上の地震を設定。・現在、土木で計算実施中であるが、従前評価値を上回ることは明らか。過去の検討結果からの類推では1Fで7m前後(従前の評価値は5.7m)。一方、・バックチェック中間報告(3月末)は重要設備のみであり、津波は要求としては最終報告。・しかしながら、訴訟戦略との関係で、一部の会社は中間報告時に最終報告と同様の内容の報告を計画。・他社から3月時点で津波評価結果が報告される可能性あり。
1F佐藤GMからも強い懸念(7mではハード的な対応が不可能では?)が示され、社内検討について、土木が検討結果を出してからではなく、早期に土木・機電で状況確認する必要があるのではないか、と認識。」「津波がNGとなると、プラントを停止させないロジックが必要。」などと書かれている。
 2月16日には、勝俣社長が出席する中越沖地震対応会議(通称「御前会議」)が開催された。この会議には社長以下の役員、吉田設備管理部長、山下地震対策センター長、各GMが出席する、全社横断的な組織であった。この日の会議では、津波の想定高さについて再評価し、7.7メートルあるいはそれ以上になると山下センター長が報告した。
 この時期に、高尾氏は今村氏と会っている。この時点では今村氏は、推本長期評価はバックチェックでの津波波源として考慮すべきだという意見であった。このことは、社内の建築、機械などのグループにも、東北電力と日本原電にも伝えた。

7 計算結果の納入とバックチェックの中間報告
 3月18日には、東電設計と東電との打ち合わせが行われ、計算結果の成果物が納入された。長期評価で示された日本海溝寄りプレート間地震津波を検討の対象としたこと,これに基づいて三陸沖を波源とした場合の津波水位の許算結果として、福島第一原子力発電所敷地南側の最大津波高さはO.P.+15.707m,北側では13.687mとなることが示された。指定弁護士からこの想定を目にしたときにどう感じたかを聞かれ、高尾氏は「建築や土木設備グループなど関係各所に結果を適切に伝え、対策を実施すべきだと感じた」と証言している。
 3月31日には、福島原発についての耐震バックチェックの中間報告が保安院に対してなされ、同時に武藤被告人らが福島県まで出向いて、その内容を福島県に対して説明している。
 この際に作成された、プレス対応用のQA集では、推本の長期評価については、最終報告では最新の知見として、不確かさとして考慮することとされていた。そして、この際のプレス対応では、津波対策は2009年6月までに終える予定であった耐震バックチェックの最終報告の中で対応することが説明されている。

8 10メートル盤に10メートルの鉛直壁を立てたときの津波遡上高の計算
 4月には、津波対策の程度を決めるために、10メートル盤に10メートルの鉛直壁を敷地の全面に構築した場合に、どの部分に津波が遡上してくるかの計算を依頼し、この計算結果を踏まえた東電と東電設計の検討が4月18日に行われた。
 4月から5月にかけては、土木グループだけでなく、建築や耐震などのグループも集めて、防潮堤だけでなく、海の中に防波堤を築く計画なども議論され、想定津波高を踏まえた対策を他のグループでも検討を始めてもらうように話したと証言した。
 4月23日の部内の検討会合の議事録では、鉛直壁19メートルは対外的に大きなインパクトがある、社内のDR(デザインレビュー委員会)や常務会にも上げて、上層部の意見を聞く必要があるなどと話し合われている。
 2008年6月2日には、福島原発の津波に関して、酒井氏、高尾氏、金戸氏と吉田設備管理部長との会合がもたれている。吉田氏は、「上に上げよう」と返答があり、至急武藤氏との会合がセットされた。
 6月6日9日には、東電設計との会合があり、東電設計からは、砕波の効果を見積もっても、津波高の低減は見込めないこと、沖合の防波堤の設置は10メートル遡上するところを4メートル程度低減できることが報告されている。

9 武藤本部長と各グループの面接
 2008年6月10日、高尾氏は吉田氏、山下氏、酒井氏、金戸氏及び機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループの担当者が出席し、武藤被告人に、地震本部の長期評価を取り上げるべきとする理由及び対策工事に関するこれまでの検討内容等を、資料を準備して報告した。証言では、武藤被告人に示された書面をもとにくわしい証言がなされた。
 酒井氏、高尾氏が行った、地震本部の長期評価を採用して、津波対策を講じる方向での説明に対し、被告人武藤は結論を示さず、
  1. 津波ハザードの検討内容について詳細に説明すること、
  2. 4m盤への遡上高さを低減するための概略検討を行うこと、
  3. 沖合に防渡堤を設置するために必要となる許認可を調べること、
  4. 平行して機器の対策についても検討すること、
を指示した。
 高尾氏は、これらの検討事項は 1. を除けば、対策実施を前提としたものであり、対策を実施する方向で上層部も動いていると考えていたという。
 高尾氏たち土木調査グループは、これらの宿題をさらに検討して、改めて報告を行うこととなった。

10 10月中に対策工事の検討を完了する
 7月23日には、東北地方の太平洋岸に原子炉を保有する四社情報連絡会が開催された。この時に日本原電が作成した議事録が残されている。
 この議事録において、高尾氏は
「対策工を実施する意思決定までには至っていない。
防潮壁、防潮堤やこれらの組合せた対策工の検討を10月までには終えたい。
津波のハザードの検討結果から、従来の土木学会の手法では10-3のオーダーで、今回の推本の津波評価が10-5のオーダーである。地震のハザードが10-5オーダーであることから、推本の津波も考癒すべきであるとの社内調整を進めている。」
と述べていた。
 また、この会議の結論として、「東電設計安中さんに日本海溝の北部と南部の区分できる資料を8/18までに作成してもらう」と言うことが決まった。この点については、弁護人の反対尋問で、詳しく聞かれた部分で、解説する。

11 7月31日 武藤二次面接 「研究を実施しようで力が抜けた」
 7月31日には、土木グループと関連グループ、吉田氏や山下氏が出席したうえで、武藤氏との話し合いがなされた。時間は50分であったという。高尾氏らは状況報告、関係他社の状況の説明、今後とるべきアクションなど、6月10日に示され準備した宿題の内容を説明した。武藤氏からは説明への反応はなく、おわり数分となったところで、武藤氏は、高尾氏らに対して「研究を実施する」あるいは「研究を実施しよう」と述べたという。これを聞いて、高尾氏は残りの数分間どのような話をされたか覚えていないという。「前のめりに対策を煮詰めようとしていたのに、対策を実施しないという結論は予想していなかったので力が抜けた」と述べた。
 直後に酒井氏が他社に送っているメールを見て、武藤被告人の考えていたことが正確にわかったという。結局推本の長期評価については土木学会に検討を依頼することとなり、土木調査グループの推本の長期評価をバックチェックに反映させるという方針は保留となってしまった。
 しかし、この時点でも、高尾氏は推本の長期評価の考え方は、南北でプレートの動き方が異なる可能性があるとしても、否定はできないと考えていたという。
 この打ち合わせを受けて、酒井氏が関係他社に経過をメールしている。このメールで、方針の変更・転換があったと明確に述べている。
 8月6日には再度、四社情報連絡会が開催された。そこでは、「東電は、海溝沿いの地震(どこでも起きる)について、推本の見解を無視することはできないが、取扱については、今後電共研でプラクティスについで検討していくこととし、当面の耐震バックチェックでは土木学会手法をベースとして進めることとしたい。」「各社東電の進め方に対する見解を社内で、確認し、回答することとした。」と記録されている。

(11日指定弁護士主尋問の続き)
12 他社や専門家に対する説得作業
 これに対する日本原電の安保氏からのメールについて、酒井氏が新方針に賛成ではあるが、積極的ではないと分析している。これに対応して高尾氏が酒井氏と金戸氏に送ったメールでは、「世間(自治体・マスコミ)がなるほどと言うような説明がすぐには思いつきません」と書かれている。
 2008年9月10日には電事連の土木技術委員会が開催され、高尾氏はこの会合に出席した。ここで電力共通研究として推本の長期評価について調査することが提案された。この「電力共通研究新規提案理由書」には、この研究の緊急性に関して、「プラントの停止を求められるリスクがある」と明記されていた。
同じ9月10日、福島原発では、所長以下も出席して「耐震バックチェック説明会」が開催された。この会合には金戸氏が出席している。この日は、15.7mの津波計算結果や武藤氏からの検討を依頼された事項なども説明した。しかし、これらの津波の資料は機微情報として回収され、議事録にも掲載しない扱いとなった。この資料の中では、「東通(ひがしどおり)申請書では推本の知見(三陸沖から房総沖の領域内でどこでも発生)を参照し、三陸沖に地震を想定。」「東北大今村教授(H20/2/26)福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できず、波源として考慮すべきであるとの見解。」「地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、原状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」などと記載されていた。
 続いて、対応が保留になったことについて、土木グループの高尾氏らが、外部の津波の専門家に説明したときのやり取りが明らかにされた。高尾氏は、まず首藤氏に、津波評価技術を改訂し、これに基づいて対策を実施すると説明し、了解を受けたという。しかし、対策に冗長性(リダンダンシー)を持たせるようにとの注文も有ったという。続いて、佐竹氏にも面談し、貞観の津波に関する論文の原稿を受け取ったという。これも、佐竹氏は貞観の津波の波源を参考に対策を進めて欲しいという意思の表れではなかったかと考えられる。
 続いて、高橋氏からは、極めて厳しいコメントがあった。高橋氏との面談は「非常に険悪なムードになった」とされ、「長期評価」を取り入れないのであれば、その根拠を示すべきだと厳しい指摘を受けたことを証言した。
 今村氏は、この年の2月に会ったときは、推本の長期評価を取り入れるべきとの意見であったが、10月に会ったときには少しトーンが違い、東電の方針を了解されたという。ただ、それは高尾氏らが、津波評価技術を改訂する、これにもとづいてきちんとバックチェックすると説明したからで、前提がちがったから、対応も異なったのだと思うと高尾氏は述べている。
 11月13日に、これらの面談結果をまとめて、吉田部長に報告している。このときまとめた報告では、首藤、今村◎、高橋△、佐竹〇となっている。この時点で、推本の長期評価をバックチェックでは扱わないという方針を設備管理部として決めたことになる。
 この当時、東北電力は保安院の指示で、869年貞観津波をバックチェックに取り入れることとしていた。これに対して、酒井氏は、東電の方針と矛盾するので、東北電力の担当者に対して、「同一歩調が最も望ましいが、東電のスタンスを踏まえてあくまで参考資料としてとどめてはどうか」などというメールを送り、そのような記載は書かないように求め、結局東北電力は貞観津波は参考として耐震バックチェック報告書に記載されることとなった。
 12月には高尾氏は阿部氏にも面談している。阿部氏の対応も「事業者がどう対応するのか考えなければならない、対応をとるのも一つ、対応をとらないなら、積極的な証拠が必要だ。」というものであった。

13 津波堆積物調査と進捗しない津波対策
 このようなコメントを受けて、東電は、福島でも津波堆積物調査を実施することとなった。
 この調査は2009年7月10日に吉田部長の承認を得て、その成果物は、2011年1月に学会に報告され、5月にポスター発表された。
 高尾氏は、津波対策が実施されない状況に問題があると感じ、2009年6月頃にプラント全体を見て、対策を進める体制を作るべきだと進言した。
 しかし、2009年7月28日、酒井氏から、高尾氏と金戸氏宛のメールで、「そのような体制を考える必要はないのではないか」と返され、進言は却下された。
 2009年8月に、高尾氏は保安院の名倉審査官と面談し、貞観の津波についての検討状況を報告して欲しいと言われ、8月28日に会い、東電が津波堆積物調査を実施していることを報告して了承を得たという。
 高尾氏は、8月頃に酒井氏と武藤氏が津波対策の件で会っているようだが、報告を受けておらず報告内容はわからない、9月頃にも武藤氏から酒井氏に津波対策に関してオーダーがあったというメールが残っているが、これも酒井氏からの説明はなく、自分は知らないのだという。

14 GMとなり、津波対策ワーキングを立ち上げる
 2010年7月高尾氏は、土木グループのGMとなった。高尾氏は、これまで実現できなかった津波対応体制を作ろうとした。そして、津波対策WGをグループ横断の組織として作ることができた。
 第1回は2010年8月、第2回が2010年10月、水密化や電源などについても話し合われたが、対策が具体化するには至らなかった。

15 土木学会津波評価部会は房総沖で集約
 土木学会の津波評価部会では、 1.過去に津波地震が起きたところだけを対応すればよい、 2.どこでも起きるが、北部と南部では構造が異なる、3.どこでも起こりうると、意見が分かれたが、重み付けアンケートで、2.,3.を合わせると6割に達し、2010年12月の段階で、土木学会として長期評価を取り入れること、南北の評価を変えることが意思一致された。
 津波対策ワーキングは第3回が2011年1月、第4回が2011年2月に開催された。第3回では、延宝房総沖の津波波源で、タービン建屋が浸水することを具体的に示して、他のグループの注意を喚起した。

16 保安院とのやりとりを武藤本部長に連絡
 2011年2月20日頃、高尾氏は、名倉審査官と打ち合わせをしている。23日には高尾氏は武藤被告人に直接名倉審査官の対応をメールしていた。これは土方氏や山下氏ら上司からも報告しておくように言われてやったことでああった。
 このメールに対して、26日には武藤被告人は、次のようなメールを返している。
「話の進展によっては、大きな影響があり得るので、情報を共有しながら、保安院との意思疎通を各レベルで図ることができるよう配慮をお願いします」
 2011年3月3日には、高尾氏は、文科省の「日本海溝長期評価情報交換会」に出席している。
 3月7日には、高尾氏は上司の土方氏、山下氏とも相談した上で、保安院名倉審査官と小林室長に対して、これまで提示していなかった三陸沖と延宝房総沖の波源の計算結果を提示した。
 高尾氏は、この打ち合わせで、土木学会津波評価部会で「北部では『1896年明治三陸沖』、南部では『1677年房総沖』を参考に設定」する方針で異論無しとされていることを説明した。「明治三陸沖」では南側でO.P.+15.7mとなること、「房総沖」では、O.P.+13.6mでタービン建屋が浸水するなどがわかっていることを説明した。保安院の二人は津波高さに驚き、普通の感じではあったが、厳しい口調で、「早急に対策が必要」「保安院として事業者に指示、指導することもあり得る」との発言があった。保安院から「工事をしろ」という指示までは出ていない。
 高尾氏は、この日の夜、このヒアリングの内容について、武藤被告人と小森副本部長に直接メールで報告した。しかし、これに対する武藤被告人、小森氏からの反応はなかった。このことを踏まえ、3月20日に原子力企画会議を開催することが決まったというメールが流されているこの日程は正しくは3月30日であった。

17 事故はショックだったと述べたが、被害者への謝罪の言葉は聞かれなかった
 2011年3月11日、東日本大震災による津波が起き、福島第一原発は浸水し、全停電の事故場発生した。高尾氏は、この事故をとても残念であり、ショックであったと述べたが、3.11の津波は、東電が想定していたものよりも更に大きなものであったと述べた。
 しかし、地震のマグニチュードの規模は想定外であったかもしれないが、三陸沖の波源では、15.7メートルで実際に来た津波高は15.5メートルであるから、津波の予測としてはほぼ正確であったといえる。
 その後、検察庁が検察審査会に提出するための津波のシミュレーションの作成を、検察官に指示されて手伝ったこと、これは総務部との契約で実施されたこと等を説明した。

第3 弁護人による反対尋問及び主尋問(11日、17日)

弁護人の反対尋問では、高尾氏は、福島県沖では過去に津波を伴うような巨大な地震が確認されていないことを専門家の論文で把握していたと証言した。
 高尾氏は、津波対策を担当していた土木グループで中心的な役割を担っていた。
 高尾氏は、耐震バックチェックは、新しい指針への対応を求められるものであるが、工事を進めながら原子炉の運転をすることは認められていたと説明した。
 この点は、間違いではないが、正確な理解とはいえない。少なくとも、2006年9月の指針改定時には3年以内に耐震バックチェックに合格しない原子炉は停止させると原子力安全委員会は保安院も、電力会社を集めた席では明言していたのである。2008年6月の段階でも、福島第一の耐震バックチェックの最終報告は2009年6月であった。この方針が貫かれていれば、多少の遅れはあったとしても、2009年中には津波対策は完了していたと考えられるのである。
 また、2008年3月の津波計算結果に基づいて対策を考えるのであれば、「前提を変えないのであれば、全体を囲むような防潮堤は考えない。10メートルを超える個所だけを覆うように計画したはずであると述べた。
 また、この当時日本海溝沿いのプレートの構造について北部と南部では構造が異なり、鶴論文、松沢論文などが公表され、これを検討していたと言うことを詳しく証言した。しかし、南の部分を房総沖波源にしても、津波高は13.6メートルに達し、緊急に対策が必要であったことは明らかである。
 2011年3月7日の時点で、保安院の担当者から「保安院から指示を出すこともあり得る」と言われたが、強い口調ではあったが、貞観の津波を取り入れるように、早く報告書を出すようにと言われたわけではないと述べた。「直ちに対策をとるように」、とか「炉を停止すべき」と言われたわけではないと述べた。
 しかし、この時点で、東電は2008年3月に行った津波高の試算結果を3年も提出を遅らせていたのである。
 その一方で、社員は、実際に津波が来ると考えていたのかと問われると、「長期評価は確度の高い計算がされていなかったので切迫性はないと考えていた」と答えた。
地震発生が切迫したものと考えなかったという趣旨の証言であると考えられるが、地震がいつ起きるかは事前予測することができないのであるから、発生するかもしれない地震・津波の対策はどれをとっても緊急であり、対策が完了しなければ運転を認めないことが正しい対応であった。福島事故の反省を踏まえて策定された新しい原子力規制ではバックフィットが求められたのはその現れである。そして、同じ、東京電力においても、柏崎刈羽原発については、耐震バックチェックに合格することが原発の再稼働の条件とされ、まさにバックフィットが実現していたのである。

第4 指定弁護士による再主尋問(17日)

神山弁護士の再主尋問では、6月10日の武藤氏からの宿題の 2. 3. 4. はいずれも具体的な対策が前提となっていた。
 また、7月23日の四社情報連絡会では、対策は10月までには終えたいと高尾氏は発言している。この時点では、工事の詳細、工事の成立性の検討の前の概略検討を終えるという意味であった。
 高尾氏は、また、専門の学会の検討結果がまとまる時には津波の対策工事が終わっていることが望ましいと社内で提言していたことを明らかにした。その理由については「検討結果が公表されたら、『なぜ対策工事が終わっていないのか』などと指摘を受けることが予想され原子炉の運転が継続できない可能性も考えられた」と説明した。
 石田弁護士の再主尋問では、第4回の津波対策ワーキングに示された防潮堤のかさ上げ、防潮堤の構築という対策では、敷地を囲むような防潮堤が提案されており、一部にだけ防潮堤を築くような説明図面にはなっていない。この段階では工事の成立性までは検討していないが、このような対策案が検討されていた。
 2008年の6月の段階ではバックチェックの最終報告は福島第一原発は2009年6月とされていた。「対策が工程的に難しい。対外的な説明が必要になる。」と武藤氏には進言していた。
 この説明は、耐震バックチェックの期限との関係を考慮しないと理解することが難しい。バックチェックの最終報告までに対策を完了させていなければ、説明を求められ、最悪の場合炉停止を求められる可能性があると高尾氏らは考えていたのである。
 渋村弁護士の再主尋問の中で、高尾氏は、2008年8月22日以降、三陸沖波源か、房総沖波源かは別として、津波対策工事は必要だと考えていたと答えた。電力共通研究においても、津波対策工事は直ちに実施する必要がある、プラント停止を求められるリスクがあることから、危機感があったと述べた。期限内にバックチェックを終えなければ、炉停止もあり得ると東電の現場では考えていたことがわかる。
 久保内弁護士の再主尋問では、専門家の了解が得られたのは、土木学会の審議による津波評価技術の改訂版にもとづいてバックチェックを行うと宣言したからであることを確認した。

第5 弁護人再反対尋問(17日)

阿部氏から厳しいコメントがあったというが、土木学会の審議に基づいてバックチェックを完了する、津波評価部会の研究発表までに対策は完了すると述べていたので、納得してもらえたのだと思う。

第6 裁判官補充尋問(17日)

原子炉を止めて工事をすると言うことはありうる。しかし、どういう場合かはわからない。推本の長期評価では津波地震の確立は30年間に30パーセントとされた。
 過去の活動歴がないので、更新過程は使えない。ポアソン過程では、切迫性がないと考えていた。しかし、長期評価は無視ではないと考えていた。
 東電の説明に対する研究者の対応について、高橋氏は厳しい意見だったので、△にした。首藤氏と今村氏が◎で、佐竹氏が〇というのは、どういう違いかわからない。